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老人係から障害者係に移り、重度の肢体不自由者、盲人、知的障害児との出会いが広がりました。ホームヘルパーは四年間で辞めました。この仕事をしたことで、私の人生はより豊かに、楽しく生きることを身につけることができたと思います。失敗や喜びを糧にして、自分の生き方を切り拓きました。その土台となったものは、純子があったからです。
純子が幼いころ、私が路頭に迷ってたので、ずいぶんと辛い思いをさせました。叱ったり怒鳴ったり、私が泣きわめいたり、不便がったり、そして自分の支えにしたり…。純子には迷惑この上ない母でした。純子も寂しそうな顔をしている女の子に育ってしましました。
そんな戦いの中で、私も少しずつ大人になって、純子への接し方も、聴覚障害者を理解しようという思いを抱くようになっで、、少しずつ改めるようになりました。
純子は、私の友人の紹介で肢体不自由者施設へ寮母のパートとして就職することになりました。二十歳のときです。私がホームヘルパーをしていたころ、純子と障害者の体育祭や、家庭を訪ねたことがありました。純子は障害者の人々の中にスルリと入り、三ヵ月から六ヵ月位のパートのつもりが四年間もお世話になることとなりました。
その間、純子は障害者の方々に頼られる幸せと、職場の方々に平等に扱って頂ける幸せと、辛さを体験し、伸び伸びと明るい娘に変身しました。
言葉も自分から覚えるようになり、学校のころよりも、言葉の数が増えて、楽しそうでした。正確でない言葉ながらも、あきれるほどお喋りさんになりました。積極的に話すようになりました。

 

 

 

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